| 縄文時代 (BC1万年頃−BC300年頃) | ||||
| BC 3500年頃 |
山内丸山遺跡 | 三内丸山遺跡は、今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 既に巨大な木造建築が行われていました。 |
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| BC 3000頃 |
エジプト文明 メソポタミア文明 |
ナイル川周辺にエジプト文明が興る。 チグリス・ユーフラテス川周辺にメソポタミア文明が興る。 |
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| BC 2500頃 |
インダス文明 黄河文明 |
インダス川周辺にインダス文明が興る。 黄河周辺に黄河文明が興る。 |
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| 1600頃 | 殷王朝 | 黄河中流・下流に殷王朝樹立。 | ||
| 2000頃 | エーゲ文明 | ギリシャを中心にエーゲ文明が興る。 | ||
| 1000頃 | ギリシャ文明 | ギリシャ各地にポリスが形成された。 | ||
| 1000頃 | 周王朝 | 殷王朝の後に周王朝が樹立。 | ||
| 弥生時代 (BC300頃−AD300頃) | ||||
| BC300年頃〜 | 弥生時代前期 | 稲作流入、クニの形成 | ||
| BC221 | 秦、中国統一 | 秦の始皇帝が中国を統一。 | ||
| BC 200年頃 |
池上曽根遺跡 | 大阪府和泉市、池上曽根遺跡周辺に人が暮らし始める。 以後環壕集落を形成。 AD150年頃、池上曽根遺跡衰退。 |
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| BC 200年頃 |
吉野ヶ里遺跡 | 佐賀県吉野ヶ里に人が暮らし始める。 AD100年頃、環壕集落が作られる。 AD100年頃、吉野ヶ里最盛期。(約60ha ) AD250年頃、吉野ヶ里衰退。 |
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| BC206 | 秦、滅亡 | 陳勝・呉広の乱が広まり、秦滅亡。 | ||
| BC202 | 前漢成立 | 劉邦が漢王朝を樹立。 | ||
| BC 100年頃 |
唐古・鍵遺跡 | 奈良県磯城郡、唐古・鍵遺跡周辺に人が暮らし始める。 以後環壕集落を形成。(約20ha) AD150年頃、唐古・鍵遺跡は衰退する。 その後、まき向遺跡周辺に移行したものと考えられています。 |
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| BC27 | ローマ帝国成立 | |||
| 25 | 後漢成立 | 光武帝が後漢を樹立。 | ||
| AD0年頃〜 | 弥生時代後期 | 稲作の定着、小国家(部族国家)形成、倭国大乱、邪馬台国 | ||
| 57年 | 金印受領 | 倭の奴国王、後漢の光武帝より金印受領 | ||
| 107年 | 倭面土国王「帥升」 | 倭面土国王「帥升」等、後漢「安帝」に遣使し、生口(せいこう:奴隷)を献ずる。【後漢書東夷伝より】 | ||
| 150年頃 | 妻木晩田最盛期 | 妻木晩田の人口増加。 総面積170haに及ぶ日本最大級の環壕集落・遺跡群。 中でも、仙谷1号墳は1辺約15m、高さ2mの最大の四隅突出型墳丘墓。 |
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| 150年頃 | 出雲王朝発展期? | この頃、出雲に四隅突出型墳丘墓が広まる。 出雲地方の発展期とも考えられています。 |
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| 150年頃 | まき向遺跡 | 奈良県櫻井市、まき向遺跡周辺に村落が形成される。 200年代中半頃最盛期を迎える。(約400ha) 200年代後半に衰退するが。大和政権の母胎と考えられている。 |
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| 158年 | 皆既日蝕 | 有史以来初の皆既日食。 | ||
| 180年頃 | 倭国大乱 | 倭国大乱の時期には諸説在ります。 @【後漢書東夷伝】より:147年−189年 A【梁書】より:178年−183年 |
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| 184 | 黄巾党の乱 | 中国で大規模な民衆の反乱。 | ||
| 200年頃 | 吉野ヶ里遺跡 | 国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになります。 特に北内郭では大型の建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期にあたります。 |
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| 220 | 後漢滅亡 | この後、魏・呉・蜀の三国時代となる。 | ||
| 239年 | 卑弥呼、魏へ朝献 | 魏から「親魏倭王」の金印、銅鏡(三角縁神獣鏡)100枚を送られる。 | ||
| 248年 | 卑弥呼死去 | 248年9月5日、有史以来2回目の皆既日食。 この直後に何らかな形(殺害?)で卑弥呼は死亡したと考えられています。 |
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| 250年頃 | 妻木晩田衰退 | 妻木晩田衰退。 | ||
| 260年頃 | 箸墓古墳 | 最古の古墳と言われる箸墓が作られる。 | ||
| 265 | 「西晋」、建国 | |||
| 266年 | 「壱与」西晋に遣使 | 卑弥呼の後継女王、「壱与」が西晋に遣使する。 | ||
| 古墳時代 (AD300年頃−600年頃) | ||||
| 300年頃〜 | 古墳時代前期 | 大和朝廷成立期 | ||
| 300年頃 | 大和朝廷成立? | AD300年頃に、大和朝廷の基盤が出来たと考えられています。 また、第十代崇神天皇は、この頃即位(318年)されたという説も在りますが、定かではありません。 |
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| 316 | 「西晋」滅亡 | |||
| 317 | 「東晋」建国 | |||
| 346 | 「百済」建国 | |||
| 350年頃 | 大和朝廷全国統一 |
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| 350年頃 | 出雲王朝衰退 | 出雲地方の衰退。 この頃より前方後方墳が普及し、出雲特有の四隅突出型墳丘墓が衰退。 大和政権が出雲を勢力下に置き始めたと考えられています。 |
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| 356 | 新羅建国 | 朝鮮半島で新羅が建国。 | ||
| 372年 | 七支刀 | 百済王が倭国に七支刀を送った。 | ||
| 375 | ゲルマン民族大移動 | ゲルマン民族がローマへ移動。 | ||
| 391年 | 倭国朝鮮出兵 | 倭国が朝鮮に出兵する 【好太王の碑文より】 | ||
| この後、15代応神天皇が即位したいう説もあります。(394年) | ||||
| 395 | ローマ帝国分裂 | ローマが西ローマ帝国、東ローマ(ビザンツ)帝国に分裂。 | ||
| 400年頃〜 | 古墳時代中期 | 倭の五王の時代 16代仁徳天皇に始まり、倭の五王が大和の中心となる。 この頃から河内、大和に巨大古墳が造られる。 |
||
| 400年頃 | 吉備の古墳群 | 吉備地方に巨大な前方後円墳が造られる。 400年代前半:造山古墳(全長350m、全国第4位) 400年代中頃:作山古墳(全長286m、全国第9位) 400年代後半:両宮山古墳(全長192m) |
||
| 420 | 「東晋」、滅亡 | 以後、五胡十六国時代になる。 | ||
| 421年 | 倭王「讃」 | 倭王「讃」が、宋に使者を送る。 倭の五王の時代 1.讃(さん)王 2.珍(ちん)王 3.済(せい)王 4.興(こう)王 5.武(ぶ )王 |
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| 438年 | 倭王「珍」即位 | 『讃』死す。 弟の『珍』が王位に立ち、宋に朝貢する。安東将軍・倭国王の称号を賜る。 【宋書より】 |
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| 443年 | 倭王「済」即位 | 『珍』死す。 『済』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書より】 『済』は第19代允恭天皇説が有力。 |
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| 462年 | 倭王「興」即位 | 『済』死す。子の『興』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書より】 『興』は第20代安康天皇説が有力。 |
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| 471年 | 稲荷山鉄剣碑文 | 碑文の内容から、この頃雄略天皇の時代には、関東から熊本まで大和朝廷の権力が及んでいたと考えられる。 | ||
| 478年 | 倭王「武」即位 | 『興』死す。弟の『武』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書】(以後朝貢途絶える) 『武』は、第21代雄略天皇説が有力。 |
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| 500年頃〜 | 古墳時代後期 | 豪族の台頭 | ||
| 506年 | 26代継体天皇即位 | 大伴氏がこれを支援。 | ||
| 512年 | 四県割譲 | 大連大伴金村が、百済へ任那の四県を割譲し、新羅の反発を買う。 | ||
| 527年 | 磐井の反乱 | 筑紫国造磐井の乱を、物部あらかびが鎮圧。 | ||
| 531年 | 辛亥の変 | 欽明天皇(蘇我氏支持)と安閑・宣化天皇(大伴・物部氏支持)の二朝対立。 大伴氏失脚し、以後、物部氏が権力の中枢を握る。 |
||
| 531年 | 29代欽明天皇即位 | |||
| 532 | 伽耶国滅亡 | 朝鮮半島の伽耶国が滅亡。 | ||
| 538年 | 仏教伝来 | 百済から仏教が伝わる(552年の説もある)。 | ||
| 545年頃 | 帝紀・旧辞 | 欽明朝の前後に、帝紀・旧辞の編纂が始まる。 | ||
| 562年 | 任那滅亡 | 新羅が任那を滅ぼす。 | ||
| 581 | 隋建国 | 楊堅が隋を建国し、都を長安に定めた。 | ||
| 587年 | 物部守屋死死去 | 蘇我馬子との争いにより物部守屋死亡。これにより物部氏衰退。 | ||
| 飛鳥時代 (592年−710年) | ||||
| 600年頃〜 | 飛鳥時代 | 中央集権制の萌芽 豪族の連合政権(氏姓制度)から、朝廷(天皇家と蘇我氏)を中心とした中央集権制が進む。 |
||
| 592年 | 33代推古天皇即位 | 蘇我馬子が、第32代崇峻天皇がを暗殺。第33代推古天皇即位。 | ||
| 593年 | 聖徳太子摂政 | 聖徳太子が摂政となる(593年−622年)。難波四天王寺創建。 | ||
| 594年 | 仏教興隆の詔 | |||
| 603年 | 官位一二階 | 氏姓制度の崩壊の兆しとなる。 | ||
| 604年 | 憲法一七条 | 聖徳太子が憲法一七条を制定。 | ||
| 607年 | 法隆寺創建 | 聖徳太子が法隆寺を創建。国毎に屯倉を置く。 | ||
| 607年 | 遣隋使 | 聖徳太子が小野妹子を隋に派遣。 | ||
| 608年 | 斐世清来日 | 小野妹子、隋使「斐世清」を伴い帰国。 斐世清、大王「足利思彦」に謁見。 |
||
| 610 | イスラム教 | ムハンマド(モハメット)がイスラム教を開く。 | ||
| 618 | 隋滅亡、唐建国 | 李渕が唐を建国し、高祖となった。 | ||
| 620年 | 国記、天皇記 | 聖徳太子、蘇我馬子が「国記」、「天皇記」の編纂を行う。 | ||
| 622年 | 聖徳太子死去 | 聖徳太子死去、49歳。没年には異論も在り。 | ||
| 626年 | 蘇我馬子死去 | 奈良県「石舞台」に埋葬される。 | ||
| 628年 | 34代舒明天皇即位 | |||
| 630年 | 第一回遣唐使 | 犬上御太鋤らを唐に派遣。 | ||
| 631年 | 百済王子「豊璋」 | 百済王子「豊璋」、人質として来日。 | ||
| 641年 | 35代皇極天皇即位 | |||
| 643年 | 上宮王家滅亡 | 蘇我入鹿に襲撃された山背大兄王が斑鳩の宮で自殺。 これにより聖徳太子の血筋が完全に途絶えた。 |
||
| 645年〜 | 白鳳時代 | 律令制準備 国史編纂開始 白鳳文化の発展 万葉歌人 | ||
| 645年 | 大化改新 | 中大兄皇子、藤原鎌足が蘇我入鹿を暗殺(乙巳の変)。 直後に蘇我蝦夷自殺。この時、国記、天皇記喪失。 |
||
| 645年 | 36代孝謙天皇即位 | 難波京遷都。 | ||
| 652年 | 班田収受の法 | 租・庸・調の新しい税制の開始。公地公民制の始まり。 口分田 租:収穫の3%の稲。 庸:織物、地方の特産物。 調:労役の代わりの布 雑徭: |
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| 655年 | 37代斉明天皇即位 | 飛鳥岡本宮遷都。各種の外征政策を行う。 | ||
| 658年 | 蝦夷討伐 | 阿倍比羅夫が蝦夷討伐。 | ||
| 659年 | 出雲大社修築 | 37代斉明天皇の命により出雲大社の神殿を修築。 | ||
| 660 | 百済滅亡 | |||
| 663年 | 白村江の戦い | 日本、百済の連合軍が、等、新羅の連合軍に大敗する。 以後日本は朝鮮から撤退。 |
||
| 664年 | 水城 | 筑紫に水城を造る。 | ||
| 667年 | 近江大津宮遷都 | 近江大津宮に遷都。 | ||
| 668年 | 38代天智天皇即位 | 称制を止め、天智天皇即位。 | ||
| 668年 | 近江令制定 | 日本国で最初の法典。 | ||
| 670年 | 法隆寺炎上 | 法隆寺炎上。全焼したと伝えられています。 | ||
| 670年 | こう午年籍 | 最初の全国的な戸籍。 | ||
| 671年 | 近江令施行 天智天皇崩御 |
近江令施行。 この直後、天智天皇逝去。 |
||
| 672年 | 壬申の乱 | 大海人皇子(後の天武天皇)が、大友皇子(39代弘文天皇)を近江にて攻め滅ぼす。 | ||
| 672年 | 38代天武天皇即位 | |||
| 676 | 新羅朝鮮半島統一 | |||
| 681年 | 飛鳥浄御原令 | 第40代天武天皇を中心に、近江令を改訂した飛鳥浄御原令を制定し、律令制に着手。 この時、「帝記」、「上古の諸事」を元に国史編纂にも着手。 |
||
| 683年 | 八色の姓 | |||
| 686年 | 天武天皇崩御 | 天武の死後、後の持統天皇が称制。 | ||
| 690年 | 41代持統天皇即位 | この後、持統天皇、藤原不比等らによって、律令、国史編纂が進められる。 | ||
| 691年 | 家伝没収 | 古事記、日本書紀の編集に際し、第41代持統天皇、藤原不比等の命により、16家、2神社の家伝・系図が没収された。 これにより、書記編纂以前の真実の歴史が隠蔽されたと考えられます。 @神社古文書 石上神社古文書、大神神社古文書 A系図 春日氏、大伴氏、佐伯氏、雀部氏、阿部氏、膳部氏、穂積氏、采女氏 羽田氏、巨勢氏、石川氏、平群氏、木角氏、阿積氏、藤原氏、上毛野氏 |
||
| 694年 | 藤原京遷都 | 飛鳥浄御原から遷都。 | ||
| 697年 | 42代文武天皇即位 | |||
| 699年 | 役君小角配流 | 役君小角(役行者)を伊豆に配流。 | ||
| 701年 | 大宝律令 | 文武天皇のとき、刑部親王と藤原不比等らの編さんによる法典が完成。 | ||
| 707年 | 43代元明天皇即位 | |||
| 奈良時代 (710年−794年) | ||||
| 700年〜 | 律令国家 国史編纂 国家仏教 天平文化 | |||
| 710年 | 平城京遷都 | 都を奈良、「平城京」に移す。 | ||
| 712年 | 「古事記」 | 太安麻呂、稗田阿礼が古事記全3巻を撰上。 | ||
| 713年 | 風土記編纂 | 諸国に風土記の編纂を命じる。 | ||
| 715年 | 44代元正天皇即位 | |||
| 718年 | 養老律令 | 藤原不比等が養老律令を撰上。 | ||
| 720年 | 「日本書紀」 | 舎人親王、日本国史全30巻、系図1巻を撰上。 | ||
| 720年 | 藤原不比等死去 | 不比等が死去し、政権は長屋王(天武天皇の孫)が握るようになった。 | ||
| 723年 | 三世一身の法 | 長屋王が施行。公地公民制の崩壊初期。 | ||
| 724年 | 45代聖武天皇即位 | 724年、聖武天皇が即位し、729年に藤原不比等の娘を皇后とする(光明皇后)。政権は再び藤原氏へ。(藤原四卿政権) 藤原武智麻呂(南家)−仲麻呂(恵美押勝) 藤原房前(北家)−−−良房−基経−−忠平−−兼家−道長−頼道 藤原宇合(弐家)−広嗣−−百川 藤原麻呂(京家) |
||
| 729年 | 長屋王の変 | 藤原宇合(うまかい)の謀略により長屋王が自殺。 | ||
| 733年 | 出雲風土記完成 | |||
| 737年 | 藤原四卿の死去 | 天然痘により、藤原四卿が相次いで死去。政権は橘諸兄に移った。 | ||
| 740年 | 藤原広嗣の乱 | 藤原広嗣(宇合の子)が、橘諸兄の勢力に対して太宰府で挙兵。 挙兵は失敗するが、中央政界に大きな衝撃を与えた。 |
||
| 741年 | 国分寺建立の詔 | 国分寺・国分尼寺の建設がはじまる。 | ||
| 743年 | 大仏造立の詔 | 仏教の鎮護国家思想が強まる。 | ||
| 743年 | 墾田永年私財の法 | 公地公民制の崩壊。 | ||
| 749年 | 46代孝謙天皇即位 | |||
| 751年 | 「懐風藻」 | 最初の漢詩集。(編者=淡海三船?山上憶良?) | ||
| 752年 | 大仏開眼 | 46代孝謙天皇、東大寺大仏開眼供養を行う。 | ||
| 754年 | 鑑真来日 | 唐招提寺建立。 | ||
| 756年 | 正倉院 | 東大寺に宝庫、「正倉院」が出来る。(校倉造) | ||
| 757年 | 橘奈良麻呂の変 | 藤原仲麻呂が、橘奈良麻呂のクーデターを防ぐ。政権は仲麻呂へ。 | ||
| 758年 | 47代淳仁天皇即位 | |||
| 759年 | 万葉集 | 選者:大伴家持ら。日本最初の和歌集。約4500首 | ||
| 764年 | 48代称徳天皇即位 | |||
| 764年 | 恵美押勝の乱 | 恵美押勝(藤原仲麻呂)が道鏡の勢力に対して挙兵。近江で敗死。 | ||
| 765年 | 道鏡太政大臣 | 道鏡が太政大臣禅師となる。その後法王へ。 | ||
| 769年 | 道鏡皇位事件 | 道鏡が、称徳天皇の後の皇位を継ごうとするが失敗。 | ||
| 770年 | 道鏡失脚 | 道鏡が下野(しもつけ)(栃木県)に流される。政権は藤原百川に移った。 | ||
| 770年 | 49代光仁天皇即位 | 天武朝の終焉。 | ||
| 781年 | 50代桓武天皇即位 | |||
| 784年 | 長岡京遷都 | 第50代桓武天皇が、都を京都、「長岡京」に移す。 | ||
| 787年 | 日本霊異記 | 僧、景戒による初の説話集。(昔話集) | ||
| 792年 | 健児制 | 軍団を廃し、健児を置く。(兵農分離) | ||
| 平安時代 (794−1192) | ||||
| 800年頃〜 | 平安前期 | 摂関政治(藤原時代)の始まり、弘仁貞観文化 | ||
| 794年 | 平安遷都 | 第50代桓武天皇が、都を京都、「平安京」に移す。 | ||
| 797年 | 坂上田村麻呂 | 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命された。 | ||
| 797年 | 「続日本紀」 | 藤原継縄・菅原真道らに取る歴史書。 | ||
| 801年 | 蝦夷平定 | 坂上田村麻呂が蝦夷平定。 | ||
| 804年 | 平安仏教の黎明 | 最澄と空海が唐に渡る。 | ||
| 805年 | 最澄帰国 | 最澄(伝教大師)が唐より帰り、天台宗を伝える。比叡山に延暦寺を建てる。 最澄の死後、円仁、円珍が支える。(台密) |
||
| 806年 | 空海帰国 | 空海(弘法大師)が唐より帰り、真言宗を伝える。高野山に金剛峰寺を建てる。 その後、京都に東寺を与えられる。(東密) |
||
| 810年 | 藤原薬子の乱 | 藤原仲成・薬子姉妹の乱。以後、藤原弐家没落。 | ||
| 816年 | 令外の官 | 蔵人、検非違使の設置。 | ||
| 822年 | 「日本霊異記」 | 僧、景戒が、最古の仏教説話集「日本霊異記」を著す。 | ||
| 827年 | 弘仁格式編纂 | 大宝律令制定後の格と式をまとめた。 | ||
| 858年 | 56代清和天皇 | |||
| 858年 | 藤原良房摂政 | 摂関政治の始まり。 | ||
| 870年頃 | 国風文化の萌芽 | この頃より国風文化が栄える。 この後、「竹取物語」、「伊勢物語」などが著される。 |
||
| 887年 | 藤原基経関白 | 摂関政治の始まり。 | ||
| 889年 | 59代宇田天皇 | |||
| 893年 | 滝口の武士 | 滝口の武士を設置し、宮中を警護。 | ||
| 894年 | 遣唐使廃止 | 菅原道真の意見により遣唐使廃止。 | ||
| 897年 | 60代醍醐天皇 | 延喜の治 班田制の復活、延喜の荘園整理令、延喜の格式、古今和歌集編纂。 |
||
| 900年頃〜 | 平安中期 | 藤原氏と天皇家の相剋、地方政治の乱れ、武士団の発生、国風文化の発達 | ||
| 900年前後 | 武士団の発生 | 800年後半から900年前半頃に武士団が発生。 やがて桓武平氏と清和源氏の二大棟梁の元に系列化していく。 桓武平氏:50代桓武天皇の曾孫、高望王が始祖。 清和源氏:56代清和天皇の孫、経基王が始祖。 |
||
| 901年 | 道真流罪 | 菅原道真が、藤原氏によって大宰府に流される。 | ||
| 902年 | 延喜の荘園整理 | 醍醐天皇が藤原勢力対抗のため荘園整理。 | ||
| 903年頃 | 「竹取物語」 | 最初の物語。作者不詳(源順あるいは紀氏の一族という説も有る) | ||
| 904年頃 | 「伊勢物語」 | 在原業平を主人公とする恋愛物語。 | ||
| 905年 | 古今和歌集編纂 | 紀貫之らによる、最初の勅撰和歌集。 | ||
| 907 | 唐滅亡 | 唐滅亡し、この後約50年間、五代十国時代が続く。 | ||
| 930年 | 61代朱雀天皇 | この頃から荘園乱立。 | ||
| 935年 | 承平・天慶の乱 | 平将門が関東で反乱を起こす。最初の武士の反乱。 | ||
| 939年 | 承平・天慶の乱 | 藤原純友が瀬戸内で反乱を起こす。 この後、追捕使を設置 |
||
| 940年 | 将門記 | |||
| 946年 | 62代村上天皇 | 天暦の治 乾元大宝鋳造、後撰和歌集編纂 |
||
| 950年頃 | 浄土教の発達 | 阿弥陀如来に帰依して念仏(南無阿弥陀仏)を唱えることによって極楽浄土に往生出来るという教えが広まった。 空也(市聖):市にて念仏のくどくを庶民に布教した。 源信(恵心僧都):985年に「往生要集」を著す。 |
||
| 950年頃 | 本地垂迹説 | 仏主神従の、神仏習合思想。 | ||
| 960 | 「宋」建国 | |||
| 969年 | 安和の変 | 醍醐天皇の皇子、源高明が左遷される。 以後、藤原氏が政権独占。摂関政治の確立。 |
||
| 970年 | 「口遊」 | 源為憲作。{雲太・和二・京三) | ||
| 985年 | 往生要集 | 源信(恵心僧都)が「往生要集」を著す。 | ||
| 986年 | 66代一条天皇 | |||
| 995年 | 藤原道長右大臣 | 藤原道長が右大臣となり、政治の実権をにぎる。 | ||
| 1000年頃〜 | 平安後期 | 藤原氏が政治権力を掌握。 | ||
| 1001年頃 | 「枕草子」 | 清少納言。わが国最初の随筆文学。枕草子は「をかしの文学」と言われる。 | ||
| 1008年頃 | 「源氏物語」 | 紫式部。源氏物語』は「あはれの文学」と呼ばれる。 | ||
| 1011年 | 67代三条天皇 | |||
| 1016年 | 68代後一条天皇 | |||
| 1016年 | 藤原道長摂政 | 藤原道長が摂政となる。(生涯、関白にはならず) | ||
| 1017年 | 藤原頼道摂政 | 藤原頼道が摂政となる。道長は太政大臣となる。 | ||
| 1030年頃 | 「栄花物語」 | 歴史書。 | ||
| 1036年 | 69代後朱雀天皇 | |||
| 1045年 | 70代後冷泉天皇 | |||
| 1051年 | 前九年の役 | 陸奥の豪族安倍頼時・貞任親子が衣川柵(岩手県)で反乱を起こす。 源頼義・義家親子と出羽の豪族清原氏が討伐。 清原武則が鎮守府将軍となる。源氏の勢力が強くなる。 |
||
| 1053年 | 平等院鳳凰堂 | 頼道が宇治に平等院鳳凰堂を建立。(寝殿造り) 阿弥陀如来像(定朝作) 阿弥陀来迎図 |
||
| 1164年 | 平家納経 | 平清盛が厳島神社に納経。 | ||
| 1068年 | 71代後三条天皇 | 皇権回復運動、天皇親政を行う。藤原頼道は関白を退く。 院政の前駆形態となった。 |
||
| 1069年 | 延久荘園整理令 | 記録書をもうけ、諸国の荘園整理。(荘園抑圧政策) | ||
| 1072年 | 72代白河天皇 | 院の蔵人所を置く。 | ||
| 1083年 | 後3年の役 | 清原武則の孫家衡・清衡の争いに関し、源義家が清衡に助成。 その後、清原清衡は摂関家と結んで藤原氏を名乗る。 |
||
| 1086年 | 73代堀河天皇 | 白河天皇が譲位する。 | ||
| 1086年 | 院政開始 | 白河上皇が院政を始める。(天皇親政の復活) 摂政・関白はしだいに権力を失うようになる。 |
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| 知行国の制度 | 国司の上に知行国司を置く。 | |||
| 1095年 | 北面の武士 | 白河上皇が院の北面の武士を置く。(平氏) | ||
| 1100年頃〜 | 院政時代 | 院政(皇権と摂関家の争い)、武士勢力の台頭 | ||
| 1105年 | 中尊寺金色堂 | 藤原清衡が平泉に中尊寺を建てる。 その後、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の栄華が続く。 |
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| 1107年 | 74代鳥羽天皇 | |||
| 1110年頃 | 大鏡 | 歴史書。藤原道長の権勢とその由来を示した歴史物語。紀伝体。 四鏡 (@大鏡、A今鏡、B水鏡、C増鏡) |
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| 1110年頃 | 今昔物語 | 説話集。 | ||
| 1123年 | 75代崇徳天皇 | |||
| 1131年 | 大山寺阿弥陀堂 | 伯耆の国大山寺阿弥陀堂 | ||
| 1141年 | 76代近衛天皇 | |||
| 1155年 | 77代後白河天皇 | |||
| 1156年 | 保元の乱 | 皇位をめぐって、崇徳上皇と後白河天皇が対立。 上皇側 : 崇徳上皇、左大臣藤原頼長、源為義、平の忠正 天皇側 : 後白河天皇、関白 藤原忠通、源義朝、平清盛 負けた崇徳上皇は讃岐へ流罪。 |
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| 1159年 | 平治の乱 | 後白河上皇の政治に不満を持った藤原信頼、源為義が挙兵。 しかし平清盛によって源為義は殺害され、三男頼朝は伊豆に流罪。 以後、平氏が政界における地位を確立。 |
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| 1164年 | 三十三間堂創建 | 後白河上皇の勅言によって三十三間堂創建。 | ||
| 1164年 | 平家納経 | 平清盛が、厳島神社に納経。 | ||
| 1167年 | 平氏全盛 | 平清盛太政大臣 | ||
| 1180年 | 富士川の戦い | 源頼朝、源(木曾)義仲が挙兵。 | ||
| 1184年 | 一の谷の戦い | 義経が一ノ谷で兵士を破る。平氏は西国へ敗走。 | ||
| 1185年 | 壇ノ浦の戦い | 壇ノ浦にて平氏滅亡。 | ||
| 1185年 | 守護・地頭 | 頼朝が諸国に守護地頭を置く。 | ||
| 1185年 | 82代後鳥羽天皇 | |||
| 1189年 | 源義経死去 | 平泉で藤原泰衡が義経を殺害。その後頼朝によって奥州藤原氏は滅ぼされた。 | ||
| 鎌倉時代 (1192−1335) | ||||
| 1200年頃〜 | 鎌倉時代 | 封建制度の確立 | ||
| 1192年 | 鎌倉幕府成立 | 源頼朝が鎌倉に幕府を開く。 御家人制、御恩(新恩給与、本領安堵)、奉公 初代:頼朝 2代:頼家 3代:実朝 |
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| 1096 | 第一回十字軍 | (1096-1270まで7回の十字軍) | ||
| 1206 | 「元」、建国 | チンギス・ハンがモンゴル帝国を建国。 | ||
| 1200年頃 | 鎌倉新仏教の発達 | 念仏系、法華系、禅宗系の新仏教が栄えた。 | ||
| 念仏系 @1175年 法然 浄土宗 (知恩院、選択本願念仏集) A1224年 親鸞 浄土真宗 (本願寺、教行信証、嘆異抄) B1274年 一遍 時宗 (清浄光寺、一遍上人語録) 法華系 @1253年 日蓮 日蓮宗 (久遠寺、立正安国論) 禅宗系 @1191年 栄西 臨済宗 (建仁寺、興禅護国論) A1227年 道元 曹洞宗 (永平寺、正法眼蔵) |
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| 1203年 | 執権政治 | 頼朝死去に伴い、北条氏に実権が移った。初代執権、北条時政 初代:時政 2代:義時 3代:泰時 8代:時宗 9代:貞時 14代:高時 |
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| 1205年 | 「新古今和歌集」 | 編者=藤原定家ら。 | ||
| 1219年 | 実朝暗殺 | 3代将軍源実朝が暗殺される。 | ||
| 1212年 | 「方丈記」 | 随筆。鴨長明作。隠者文学。無常の詠嘆。 | ||
| 1220年頃 | 「愚管抄」 | 歴史書。慈円が愚管抄を著す。 | ||
| 1221年頃 | 宇治拾遺物語 | 説話集。 | ||
| 1221年 | 承久の乱 | 後鳥羽上皇が、執権北条義時の追悼宣言を出す。 しかし北条泰時・時房の19万人の軍によって京都占領される。 後鳥羽上皇は隠岐に順徳上皇は佐渡へ、土御門上古は土佐へ流刑。 六波羅探題設置。公家勢力の衰退。 |
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| 1225年 | 連所・評定衆 | 執権の補佐として置く。 | ||
| 1232年 | 御成敗(貞永)式目 | 3代執権北条泰時が最初の武家法典、御成敗(貞永)式目を制定。 | ||
| 1235年頃 | 「百人一首」 | 藤原定家が選んだ天智天皇から順徳院までの「百人秀歌」をもとにした思われる。 | ||
| 1250年頃 | 「平家物語」 | 作者不詳。琵琶法師によって、平曲として語れた。 | ||
| 1265年頃 | 金沢文庫設立 | 北条実時が金沢文庫設立。 | ||
| 1274年 | 文永の役 | 第一回蒙古襲来。2万人。 | ||
| 1272年 | 皇室の分裂 | 88代後嵯峨上皇死去により皇統分裂。 89代後深草天皇:大覚寺統(北朝) 90代亀山天皇 :寺明院統(南朝) |
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| 1281年 | 弘安の役 | 第二回蒙古襲来。14万人。 | ||
| 1293年 | 鎮西(九州)探題 | 博多に鎮西(九州)探題設置。 | ||
| 1297年 | 永仁の徳政令 | 鎌倉幕府が徳政令を出し、御家人の困苦を救う。 | ||
| 南北朝時代 (1338−1392) | ||||
| 1300年頃〜 | 南北朝時代 | 動乱期 五山文化 | ||
| 1300頃 | ルネサンス | イタリアでギリシャ・ローマの文芸復興が始まった。 | ||
| 1317年 | 両統迭立 | 鎌倉幕府が、両統に対して交互に皇位に就く案を出すが失敗。 | ||
| 1318年 | 96代後醍醐天皇 | 大覚寺統の後醍醐天皇が皇位に就く。 | ||
| 1321年 | 院政廃止 | 後醍醐天皇が記録書を再興し、天皇親政を始める。院政、摂関廃止。 | ||
| 1324年 | 正中の変 | 後醍醐天皇が企てた1回目の倒幕計画。日野資朝、日野俊基と挙兵するが、資朝は佐渡に流罪。 | ||
| 1330年頃 | 「徒然草」 | 随筆。吉田兼好作。隠者文学。無常の美。 | ||
| 1331年 | 元弘の変 | 後醍醐天皇が2回目の倒幕計画を立てるも失敗。 楠正成は敗走。後醍醐天皇は、隠岐に流刑。 |
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| 1333年 | 後醍醐天皇隠岐脱出 | 後醍醐天皇が隠岐を脱出し、名和長年らと船上山で挙兵。 足利尊氏が六波羅探題を討つ。新田義貞は鎌倉で挙兵。 |
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| 1333年 | 鎌倉幕府滅亡 | 楠木正成、足利高氏、新田義貞の加勢により、14代北条高時自殺。 | ||
| 1334年 | 建武の新政 | 天皇親政。しかし武士、公家の反感を買う。 | ||
| 1335年 | 中先代の乱 | 北条時行が鎌倉幕府の勢力回復を図って信濃で挙兵。足利忠直義の軍を破って一旦鎌倉を奪還。しかし尊氏に滅ぼされる。 | ||
| 1335年 | 足利尊氏の反乱 | 足利尊氏が鎌倉で建武政権に対し反旗を上げる。 | ||
| 1336年 | 竹ノ下の戦い | 尊氏が箱根の竹ノ下で新田義貞を破り入京。しかし北畠顕家に破れ、九州に敗走。 | ||
| 1336年 | 湊川の戦い | 尊氏が湊川(神戸市)で楠正成を破って入京。 | ||
| 1336年 | 南北朝の分立 | 足利尊氏、光明天皇を立てる(北朝)。ついで建武式目を制定。 後醍醐天皇は吉野へ逃れる(南朝)。 |
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| 1338年 | 足利(室町)幕府 初代将軍足利尊氏 |
足利尊氏が征夷大将軍となり、京都に室町幕府を開く。 初代:尊氏 3代:義満 8代:義政 15代:義昭 しかし尊氏、直義兄弟の間で内紛が続いた。 |
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| 1338年 | 南朝の衰退 | 1338年、新田義貞、北畠顕家戦死。1339年、後醍醐天皇死去。 | ||
| 1339年 | 「神皇正統記」 | 北畠親房が南朝の正当性を説く。三種の神器は南朝で確保。 | ||
| 1341年 | 天龍寺船 | 元との貿易。 | ||
| 1346年 | 天龍寺 | 後醍醐天皇の為に尊氏・直義兄弟が創建。 | ||
| 1349年 | 関東管領設置 | 関東管領をおき、足利基氏がこれに任じる。 このころ倭寇が中国の沿岸を荒らす。 |
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| 1350年 | 観応の擾乱 | 尊氏VS直義の争乱。 | ||
| 1352年 | 直義毒殺 半済 | 尊氏が直良しを毒殺。 | ||
| 1360年頃 | 「太平記」 | 作者未詳。南北朝の争乱を著す。 | ||
| 1360年頃 | 「増鏡」 | 歴史書。(四鏡のC) | ||
| 1368年 | 3代将軍足利義満 | 足利義満が3代将軍になる。足利幕府内の内紛が収束。 | ||
| 1378年 | 花の御所 | 御所を室町に移す。 | ||
| 1368 | 「明」建国 | 李鴻章が「明」を建国。 | ||
| 1383年 | 足利義満 | 足利義満が3代将軍となる。 | ||
| 1391年 | 明徳の乱 | |||
| 室町時代 (1392−1573) | ||||
| 1400年頃〜 | 室町時代 | 農業・商業の発達 北山文化 | ||
| 1392年 | 南北朝の統一 | しだいに北朝・幕府側の力が強まり、南朝側の武士は少なくなった。 1392年、3代将軍足利義満は南朝と講和して京都で一つの朝廷になるようにした。 |
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| 1392 | 「朝鮮」建国 | 高麗滅び、李成桂が朝鮮建国(李氏朝鮮)。 | ||
| 1397年 | 金閣寺造営 | 3代将軍足利義満が北山に金閣寺を造営(北山文化) | ||
| 北山文化 | =金閣寺を中心にした豪奢な文化 建築:金閣寺(鹿苑寺) 芸能:観阿弥・世阿弥による能楽の大成。 宗教:臨済宗 |
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| 1399年 | 日朝貿易 | 対馬の宗氏が朝鮮と通交。 | ||
| 1401年 | 第1回遣明船 | 足利義満が明と貿易を始め、倭寇の取りしまりを約する。 | ||
| 1404年 | 日明(勘合)貿易開始 | 倭寇と区別するために正式の貿易船に勘合符という割札をもたせた。 | ||
| 1411年 | 日明貿易中断 | 4代義持は、明に臣従した日明貿易を一時中止。 | ||
| 1415年 | 琉球貿易開始 | 薩摩の島津氏を通じて琉球が入貢し、琉球貿易始まる。 | ||
| 1419年 | 応永の外寇 | 朝鮮が和冦の本拠地と見なした対馬を襲った。宗貞盛が撃退。 | ||
| 1428年 | 正長の土一揆 | 近江国の馬借が徳政令を要求して起こした、最初の大規模な一揆。 | ||
| 1429年 | 播磨の国一揆 | |||
| 1434年 | 日明貿易再開 | 6代義教は、明銭の必要性などから日明貿易再開。 | ||
| 1439年 | 足利学校再興 | 上杉憲実が足利学校を再興。 | ||
| 1441年 | 嘉吉の土一揆 | |||
| 1467年頃〜 | 戦国時代へ | 幕府の衰退、京都の荒廃、戦国大名の成長、東山文化、地方文化 | ||
| 1467年 | 応仁の乱 | 将軍家の継嗣問題、管領家の家督争いを発端に起こった全面的内乱。 東軍:細川勝元、足利義視 西軍:山名宗全、足利義政 両者が諸大名を率いて争う。 応仁の乱を契機にに下克上の世の中となり、戦国大名が誕生する。 |
||
| 1485年 | 山城の国一揆 | 山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った。 | ||
| 1488年 | 加賀の一向一揆 | 加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った。 | ||
| 1489年 | 銀閣寺造営 | 足利義政が京都東山に銀閣寺を建てる。 (東山文化) | ||
| 1491年 | 北条早雲 | 北条早雲、伊豆を占領。 | ||
| 1510年 | 三浦の乱 | 三浦の居留民と、朝鮮との間の争い勃発。以後、朝鮮貿易は衰退。 | ||
| 1517 | ルターの宗教改革 | マルチン・ルターが宗教改革。 | ||
| 1543年 | 鉄砲伝来 | ポルトガル人、種子島に漂着し、鉄砲を伝える。 | ||
| 1547年 | 日明貿易終了 | 細川氏、大内氏の没落に伴い日明貿易終了。 | ||
| 1549年 | キリスト教伝来 | フランシスコ・ザビエル、キリスト教を伝来。 | ||
| 1553年 | 川中島の戦い | 上杉健資と武田信玄が川中島で戦う。 | ||
| 1560年 | 桶狭間の戦い | 織田信長が、桶狭間にて今川義元を破る。家康自立する。 | ||
| 1567年 | 美濃攻略 | 信長が、斉藤龍興を破り岐阜進出。 | ||
| 1568年 | 信長の入京 | 信長が足利義昭を奉じて入京。「天下布武」の印象を用いる。 | ||
| 1570年 | 姉川の戦い | 信長が、浅井長政・朝倉義影を破る | ||
| 1571年 | 延暦寺焼き討ち | 延暦寺を焼き討ち。 | ||
| 1573年 | 室町幕府滅亡 | 足利義昭を追放し足利幕府滅ぶ。 | ||
| 安土桃山時代 (1573−1603) | ||||
| 1573年頃〜 | 戦国→天下統一 | |||
| 1575年 | 長篠の戦い | 信長・家康連合軍が武田勝頼をやぶる。(これを機に鉄砲の威力が証明され戦の様式が変化していく)。 | ||
| 1576年 | 安土城築城 | 織田信長が近江に安土城を築城。 | ||
| 1577年 | 楽市楽座 | 信長が安土に楽市の制をしく。 | ||
| 1580年 | 石山本願寺との和睦 | 本願寺光佐(顕如)を退去させ、和睦。 | ||
| 1580年 | 鳥取城水攻め | 秀吉が鳥取城を水攻め。1581年落城。吉川経家は自刃。 | ||
| 1582年 | 遣欧少年使節団 | 大友、有馬、大村の3大名がローマ教皇のもとに少年使節団を送る。 | ||
| 1582年 | 本能寺の変 | 信長が京都の本能寺で明智光秀におそわれ、自刃。 | ||
| 1582年 | 山崎の戦い | 羽柴秀吉が明智光秀をやぶる。 | ||
| 1583年 | 賤ケ岳の戦い | 秀吉、柴田勝家を破る。 | ||
| 1583年 | 大阪城築城 | 秀吉が大阪城を築く。 | ||
| 1584年 | 南蛮貿易 | イスパニア船が平戸に来航。以後、ポルトガル、イスパニアと貿易。 | ||
| 1584年 | 小牧・長久手の戦い | 信長の子、織田信雄・家康連合軍と戦い和睦。 | ||
| 1585年 | 四国平定 | 長宗我部元親を破る。 | ||
| 1585年 | 関白就任 | 秀吉、関白。 | ||
| 1586年 | 太政大臣 | 秀吉、太政大臣。豊臣姓となる。 | ||
| 1587年 | 九州平定 | 秀吉が島津氏を討って九州を従える。 | ||
| 1587年 | 聚楽第 | 城郭風邸宅を京都に建築。 | ||
| 1587年 | バテレン追放令 | キリスト教禁止、宣教師の国外追放。 | ||
| 1588年 | 刀狩り | 農民から刀・やり・鉄砲などを取り上げ、農民が武器を持つことを禁止する。 | ||
| 1590年 | 全国を統一 | 豊臣秀吉が小田原の北条氏政を破る。全国を統一。 | ||
| 1591年 | 千利休自殺 | |||
| 1591年 | 3ヶ条の朱印状 | 身分変更の禁止令。 | ||
| 1592年 | 人掃令 | 秀次が戸数・人数を調べた。身分確定を推し進める結果となった。 | ||
| 1592年 | 朱印船貿易 | 正規の商船には朱印状を与えた。 | ||
| 1592年 | 文禄の役 | 秀吉が朝鮮出兵を命ずる。15万人の軍。 | ||
| 1594年 | 太閤検地 | 秀吉が全国にわたり検地を行う。 | ||
| 1597年 | 慶長の役 | 秀吉が再び朝鮮に出兵する。 | ||
| 1598年 | 秀吉逝去 | 豊臣秀吉が死亡。 | ||
| 1600年 | 慶長5 | 関ヶ原の戦い | 徳川家康と豊臣方の戦い。 東軍:徳川家康 西軍:石田三成、毛利輝元 |
|
| 1603年 | 歌舞伎 | この頃、出雲(島根県)の阿国が歌舞伎踊りを始める。 | ||
| 江戸時代 (1603年−1868年) | ||||
| 1600年頃〜 | 江戸時代前期 | 幕藩体制の基礎作り (初代家康−5代綱吉) | ||
| 1603年 | 江戸幕府 | 徳川家康、征夷大将軍。江戸に幕府を開く。 | ||
| 1605年 | 2代徳川秀忠 | 徳川秀忠が2代将軍になり、家康は大御所となる。(1605-1623) | ||
| 1613年 | キリスト教禁教令 | 全国にキリスト教禁教令。 | ||
| 1614年 | 鐘銘事件 | 方広寺の鐘銘をめぐって家康が豊臣を断罪。 | ||
| 1614年 | 大阪冬の陣 | 家康が大阪城の豊臣秀頼を攻める。 | ||
| 1615年 | 大阪夏の陣 | 豊臣氏が徳川氏に滅ぼされる。 直後より幕藩体制の基礎作りが行われた。 |
||
| 武家諸法度 | 武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める。 | |||
| 1620年 | 桂離宮 | 桂離宮創建。 | ||
| 1623年 | 3代徳川家光 | 徳川家光が3代将軍になり、幕府の官僚政治体制が整う。(1623-1651) | ||
| 1624年 | 日光東照宮陽明門 | 日光東照宮陽明門完成。 | ||
| 1635年 | 鎖国令 | 日本人の海外渡航を禁じ、御朱印船を廃止する。 | ||
| 1635年 | 参勤交代 | 大名は1年毎に江戸に出て、将軍に仕える。妻子は江戸住まい。 | ||
| 1636年 | 出島の構築 | 長崎に出島を構築。 | ||
| 1637年 | 島原の乱 | 小西行長の遺臣、益田好次の子で16歳の天草四郎時貞を盟主とするキリシタン浪人が、農民層を駆り立てて蜂起させた土一揆。 | ||
| 1639年 | 鎖国の強化 | ポルトガル船来航禁止。以後、オランダ、中国(清)のみと交易を行う。 | ||
| 1641年 | 鎖国の完成 | オランダ商館を平戸から長崎の出島に移す。 | ||
| 1642年 | 参勤交代 | 諸大名に参勤交代を命じる。 | ||
| 1643年 | 田畑永代売買の禁 | 田畑の売買を禁じ、階層分化が厳しくなることを禁じた(1872年まで続く) | ||
| 1644 | 「清」建国 | 明が滅亡し、清建国。 | ||
| 1647年 | 赤絵焼き | 酒井田柿右衛門が「赤絵焼き」に成功。 | ||
| 1649年 | 慶安の御触書 | 農民の生活制限の集大成と言うべき慶安の御触書が出される。 年貢徴収の確立。 |
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| 1649 | 清教徒革命 | イギリスで清教徒革命 | ||
| 1651年 | 4代徳川家綱 | 文治政治を行う。(1651-1680) | ||
| 1651年 | 慶安の変 | 由井正雪を首謀者とする浪人たちがくわだてた幕府批判の反乱未遂事件。 | ||
| 1657年 | 明暦の大火 | 江戸城本丸焼失。翌年再建。 | ||
| 1663年 | 殉死禁止令 | 殉死が禁止された。 | ||
| 1665年 | 証人の制を廃止 | 幕府に差し出す人質の制が解除された。 | ||
| 1665年 | 「正教要録」 | 古学者、山鹿素行が「正教要録」を著す。 | ||
| 1666年 | 「オランダ風説書」 | |||
| 1670年 | 「本朝痛鑑」 | 幕府が林羅山らに命じて作らせた歴史書。 | ||
| 1671年 | 東廻り航路 | 河村瑞軒が東回り航路をひらく。 | ||
| 1672年 | 西廻り航路 | 河村瑞軒が西回り航路をひらく。 | ||
| 1678年 | 和事 歌舞伎 | 大阪で、坂田籐十郎が歌舞伎を確立。 | ||
| 1680年 | 5代徳川綱吉 | 徳川綱吉が5代将軍となる。 補佐=初期:大老堀田正俊→後期:側用人柳沢吉保。 |
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