| 縄文時代 |
BC
3500年頃 |
|
山内丸山遺跡 |
三内丸山遺跡は、今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。
既に巨大な木造建築が行われていました。 |
BC
3000年頃 |
|
|
大山山麓に人が暮らし始める(?) |
|
BC
3000頃 |
エジプト文明
メソポタミア文明 |
ナイル川周辺にエジプト文明が興る。
チグリス・ユーフラテス川周辺にメソポタミア文明が興る。 |
|
BC
2500頃 |
インダス文明
黄河文明 |
インダス川周辺にインダス文明が興る。
黄河周辺に黄河文明が興る。 |
|
1600頃 |
殷王朝 |
黄河中流・下流に殷王朝樹立。 |
|
2000頃 |
エーゲ文明 |
ギリシャを中心にエーゲ文明が興る。 |
|
1000頃 |
ギリシャ文明 |
ギリシャ各地にポリスが形成された。 |
|
1000頃 |
周王朝 |
殷王朝の後に周王朝が樹立。 |
| 弥生時代(BC300頃−AD300頃) |
BC
300年頃 |
|
目久美遺跡 |
米子市目久美町(米子駅裏)付近の加茂川沿いで水田耕作。 |
|
BC221 |
秦、中国統一 |
秦の始皇帝が中国を統一。 |
BC
200年頃 |
|
池上曽根遺跡 |
大阪府和泉市、池上曽根遺跡周辺に人が暮らし始める。
以後環壕集落を形成。
AD150年頃、池上曽根遺跡衰退。 |
BC
200年頃 |
|
吉野ヶ里遺跡 |
佐賀県吉野ヶ里に人が暮らし始める。
AD100年頃、環壕集落が作られる。
AD100年頃、吉野ヶ里最盛期。(約60ha )
AD250年頃、吉野ヶ里衰退。 |
|
BC206 |
秦、滅亡 |
陳勝・呉広の乱が広まり、秦滅亡。 |
|
BC202 |
前漢成立 |
劉邦が漢王朝を樹立。 |
BC
100年頃 |
|
唐古・鍵遺跡 |
奈良県磯城郡、唐古・鍵遺跡周辺に人が暮らし始める。
以後環壕集落を形成。(約20ha)
AD150年頃、唐古・鍵遺跡は衰退するが、まき向遺跡周辺に移行したものと考えられています。 |
|
BC27 |
ローマ帝国成立 |
|
| AD 0年頃 |
|
青木遺跡 |
米子市永江、青木に人が暮らし始める。 |
|
25 |
後漢成立 |
光武帝が後漢を樹立。 |
| 50年頃 |
|
妻木晩田黎明期 |
妻木晩田に人が暮らし始める。
|
| 57年 |
|
金印受領 |
倭の奴国王、後漢の光武帝より金印受領 |
| 107年 |
|
倭面土国王「帥升」 |
倭面土国王「帥升」等、後漢「安帝」に遣使し、生口(せいこう:奴隷)を献ずる。
【後漢書東夷伝より】 |
| 122年頃 |
|
素戔嗚尊誕生? |
一説によれば・・・・
|
| 150年頃 |
|
妻木晩田最盛期 |
妻木晩田の人口増加。
総面積170haに及ぶ日本最大級の環壕集落・遺跡群。
中でも、仙谷1号墳は、1辺約15m、高さ2mの最大の四隅突出型墳丘墓。 |
| 150年頃 |
|
出雲王朝発展期? |
この頃、出雲に四隅突出型墳丘墓が広まる。
出雲地方の発展期とも考えられています。 |
| 150年頃 |
|
まき向遺跡 |
奈良県櫻井市、まき向遺跡周辺に村落が形成される。
200年代中半頃最盛期を迎える。(約400ha)
200年代後半に衰退するが。大和政権の母胎と考えられている。 |
| 158年 |
|
皆既日蝕 |
有史以来初の皆既日食。 |
| 180年頃 |
|
倭国大乱 |
倭国大乱の時期には諸説在ります。
@【後漢書東夷伝】より:147年−189年
A【梁書】より:178年−183年 |
|
184 |
黄巾党の乱 |
中国で大規模な民衆の反乱。 |
| 200年頃 |
|
吉野ヶ里遺跡 |
国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになります。
特に北内郭では大型の建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期にあたります。 |
|
220 |
後漢滅亡 |
この後、魏・呉・蜀の三国時代となる。 |
| 239年 |
|
卑弥呼、魏へ朝献 |
魏から「親魏倭王」の金印、銅鏡(三角縁神獣鏡)100枚を送られる。 |
| 248年 |
|
卑弥呼死去 |
248年9月5日、有史以来2回目の皆既日食。
この直後に何らかな形(殺害?)で卑弥呼は死亡したと考えられています。 |
| 250年頃 |
|
妻木晩田衰退 |
妻木晩田衰退。
麦木晩田の衰退にも248年の皆既日蝕が関係していたのかも知れません |
| 260年頃 |
|
箸墓古墳 |
最古の古墳と言われる箸墓が作られる。 |
|
265 |
「西晋」、建国 |
|
| 266年 |
|
「壱与」西晋に遣使 |
卑弥呼の後継女王、「壱与」が西晋に遣使する。 |
| 古墳時代(AD300年頃−600年頃) |
| 300年頃 |
|
大和朝廷成立? |
AD300年頃に、大和朝廷の基盤が出来たと考えられています。
また、第十代崇神天皇は、この頃即位(318年)されたという説も在りますが、定かではありません。 |
|
316 |
「西晋」、滅亡 |
|
|
317 |
「東晋」、建国 |
|
|
346 |
「百済」、建国 |
|
| 350年頃 |
|
大和朝廷全国統一 |
このころ、大和朝廷が国内をほぼ統一する。
大和朝廷は、大王(おおきみ)を中心とした豪族の連合政権。
氏と姓にもとづく政治→氏姓制度 |
|
| 350年頃 |
|
出雲王朝衰退 |
出雲地方の衰退。
この頃より前方後方墳が普及し、出雲特有の四隅突出型墳丘墓が衰退します。
大和政権が出雲を勢力下に置き始めたと考えられています。
|
|
356 |
新羅建国 |
朝鮮半島で新羅が建国。 |
| 372年 |
|
七支刀 |
百済王が倭国に七支刀を送った。 |
|
375 |
ゲルマン民族大移動 |
ゲルマン民族がローマへ移動。 |
| 391年 |
|
倭国朝鮮出兵 |
倭国が朝鮮に出兵する 【好太王の碑文より】 |
|
|
|
この後、15代応神天皇が即位したいう説もあります。(394年) |
|
395 |
ローマ帝国分裂 |
ローマが西ローマ帝国、東ローマ(ビザンツ)帝国に分裂。 |
| 400年頃 |
|
倭の五王の時代 |
16代仁徳天皇に始まり、倭の五王が大和の中心となる。
この頃から河内、大和に巨大古墳が造られる。 |
| 400年頃 |
|
福市遺跡 |
米子市福市周辺に集落が作られる。 |
| 400年頃 |
|
吉備の古墳群 |
吉備地方に巨大な前方後円墳が造られる。
400年代前半:造山古墳(全長350m、全国第4位)
400年代中頃:作山古墳(全長286m、全国第9位)
400年代後半:両宮山古墳(全長192m) |
|
420 |
「東晋」、滅亡 |
以後、五胡十六国時代になる。 |
| 421年 |
|
倭王「讃」 |
倭王「讃」が、宋に使者を送る。
倭の五王の時代
1.讃(さん)王 2.珍(ちん)王
3.済(せい)王 4.興(こう)王 5.武(ぶ )王 |
| 438年 |
|
倭王「珍」即位 |
『讃』死す。
弟の『珍』が王位に立ち、宋に朝貢する。安東将軍・倭国王の称号を賜る。 【宋書より】 |
| 443年 |
|
倭王「済」即位 |
『珍』死す。 『済』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書より】
『済』は第19代允恭天皇説が有力。 |
| 462年 |
|
倭王「興」即位 |
『済』死す。子の『興』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書より】
『興』は第20代安康天皇説が有力。 |
| 471年 |
|
稲荷山鉄剣碑文 |
碑文の内容から、この頃雄略天皇の時代には、関東から熊本まで大和朝廷の権力が及んでいたと考えられる。 |
| 478年 |
|
倭王「武」即位 |
『興』死す。弟の『武』が王位に立ち、宋に朝貢する。 【宋書】(以後朝貢途絶える)
『武』は、第21代雄略天皇説が有力。 |
| 500年頃 |
|
豪族の台頭 |
|
| 500年頃 |
|
淀江福岡古墳群 |
米子市淀江町福岡に、淀江福岡古墳群が作られる。 |
| 506年 |
|
継体天皇即位 |
第26代継体天皇即位。大伴氏がこれを支援。 |
| 512年 |
|
四県割譲 |
大連大伴金村が、百済へ任那の四県を割譲し、新羅の反発を買う。 |
| 527年 |
|
磐井の反乱 |
筑紫国造磐井の乱を物部あらかびが鎮圧。 |
| 531年 |
|
辛亥の変 |
欽明天皇(蘇我氏支持)と安閑・宣化天皇(大伴・物部氏支持)の二朝対立。
大伴氏失脚し、以後、物部氏が権力の中枢を握る。 |
|
532 |
伽耶国滅亡 |
朝鮮半島の伽耶国が滅亡。 |
| 538年 |
|
仏教伝来 |
百済から仏教が伝わる(552年の説もある)。 |
| 545年頃 |
|
帝紀・旧辞 |
欽明朝の前後に、帝紀・旧辞の編纂が始まる。 |
| 550年頃 |
|
淀江石馬谷古墳 |
淀江石馬谷古墳が作られる |
| 550年頃 |
|
淀江岩屋古墳 |
淀江岩屋古墳が作られる。 |
| 550年頃 |
|
宗像古墳群 |
米子市宗像に、宗像古墳群が作られる。 |
| 562年 |
|
任那滅亡 |
新羅が任那を滅ぼす。 |
|
581 |
隋建国 |
楊堅が隋を建国し、都を長安に定めた。 |
| 587年 |
|
物部守屋死亡 |
蘇我馬子との争いにより物部守屋死亡。これにより物部氏衰退。 |
| 飛鳥時代(592年−710年) |
|
| 592年 |
|
崇峻天皇暗殺 |
蘇我馬子が、第32代崇峻天皇がを暗殺。第33代推古天皇即位。 |
| 593年 |
|
聖徳太子摂政 |
聖徳太子が摂政となる(593年−622年) |
| 600年頃 |
|
中央集権制の萌芽 |
豪族の連合政権(氏姓制度)から、朝廷(天皇家と蘇我氏)を中心とした中央集権制が進む。 |
| 603年 |
|
官位一二階 |
氏姓制度の崩壊の兆しとなる。 |
| 604年 |
|
憲法一七条 |
聖徳太子が憲法一七条を制定。 |
| 607年 |
|
法隆寺創建 |
聖徳太子が法隆寺を創建。 |
| 607年 |
|
遣隋使 |
聖徳太子が小野妹子を隋に派遣。 |
| 608年 |
|
斐世清来日 |
小野妹子、隋使「斐世清」を伴い帰国。
斐世清、大王「足利思彦」に謁見。 |
|
610 |
イスラム教 |
ムハンマド(モハメット)がイスラム教を開く。 |
|
618 |
隋滅亡、唐建国 |
李渕が唐を建国し、高祖となった。 |
| 620年 |
|
国記、天皇記 |
聖徳太子、蘇我馬子が「国記」、「天皇記」の編纂を行う。 |
| 622年 |
|
聖徳太子死去 |
聖徳太子死去、49歳。没年には異論も在り。 |
| 626年 |
|
蘇我馬子死去 |
奈良県「石舞台」に埋葬される。 |
| 630年 |
|
第一回遣唐使 |
犬上御太鋤らを唐に派遣。 |
| 631年 |
|
百済王子「豊璋」 |
百済王子「豊璋」、人質として来日。 |
| 643年 |
|
上宮王家滅亡 |
蘇我入鹿に襲撃された山背大兄王が斑鳩の宮で自殺。
これにより聖徳太子の血筋が完全に途絶えた。 |
| 645年 |
|
大化改新 |
中大兄皇子、藤原鎌足が蘇我入鹿を暗殺(乙巳の変)。
直後に蘇我蝦夷自殺。この時、国記、天皇記喪失。 |
| 652年 |
|
班田収受の法 |
租・庸・調の新しい税制の開始。公地公民制の始まり。
口分田
租
庸
調
兵役:防人
|
| 659年 |
|
出雲大社修築 |
37代斉明天皇の命により出雲大社の神殿を修築。 |
|
660 |
百済滅亡 |
|
| 663年 |
|
白村江の戦い |
日本、百済の連合軍が、等、新羅の連合軍に大敗する。
以後日本は朝鮮から撤退。 |
| 668年 |
|
近江令制定 |
日本国で最初の法典。第38代天智天皇即位。 |
| 670年 |
|
法隆寺炎上 |
法隆寺炎上。全焼したと伝えられています。 |
| 670年 |
|
こう午年籍 |
最初の全国的な戸籍。 |
| 671年 |
|
近江令施行
天智天皇崩御 |
近江令施行。
この直後、天智天皇逝去。 |
| 672年 |
|
壬申の乱 |
大海人皇子(後の天武天皇)が、大友皇子(39代弘文天皇)を近江にて攻め滅ぼす。 |
|
676 |
新羅朝鮮半島統一 |
|
| 681年 |
|
飛鳥浄御原令 |
第40代天武天皇を中心に、近江令を改訂した飛鳥浄御原令を制定し、律令制に着手。
この時、「帝記」、「上古の諸事」を元に国史編纂にも着手。 |
| 683年 |
|
上淀廃寺造営 |
上淀廃寺の造営。 |
| 686年 |
|
天武天皇崩御 |
天武の死後、後の持統天皇が称制。 |
| 688年 |
|
上淀廃寺創建 |
日本には類のない、2塔並立、1金堂の上淀廃寺が創建。 |
| 690年 |
|
第41代持統天皇即位 |
この後、持統天皇、藤原不比等らによって、律令、国史編纂が進められる。 |
| 691年 |
|
家伝没収 |
古事記、日本書紀の編集に際し、第41代持統天皇、藤原不比等の命により、16家、2神社の家伝・系図が没収された。
これにより、書記編纂以前の真実の歴史が隠蔽されたと考えられます。
@神社古文書
石上神社古文書、大神神社古文書
A系図
春日氏、大伴氏、佐伯氏、雀部氏、阿部氏、膳部氏、穂積氏、采女氏
羽田氏、巨勢氏、石川氏、平群氏、木角氏、阿積氏、藤原氏、上毛野氏 |
| 694年 |
|
藤原京遷都 |
飛鳥浄御原から遷都。 |
| 699年 |
|
役君小角配流 |
役君小角(役行者)を伊豆に配流。 |
| 701年 |
|
大宝律令 |
文武天皇のとき、刑部親王と藤原不比等らの編さんによる法典が完成。 |
| 706年 |
|
三徳山開山? |
三徳山開山
寺伝によれば…
慶雲3年(706年)、役行者(えんのぎょうじゃ)が3枚のハスの花びらを散らし 「仏教に縁のある所に落ちるように」と祈ったところ、その1枚が三徳山に落ち開山したと伝えられています。 |
| 奈良時代(710年−794年) |
|
| 710年 |
|
平城京遷都 |
都を奈良、「平城京」に移す。 |
| 712年 |
|
古事記編纂 |
太安麻呂、稗田阿礼が古事記全3巻を撰上。 |
| 713年 |
|
風土記編纂 |
諸国に風土記の編纂を命じる。 |
| 716年 |
|
「山上憶良」
伯耆守に任官 |
山上憶良 (660頃生ー733没) 伯耆守に任官
万葉集には、40を過ぎてからの歌が載っています。
山上憶良の歌は、子どものことを想った歌が多く見受けられます。
また、病気や貧困など、人生の苦しい面や、その時代の問題を扱っているのが特色でしょう。
「白銀も 黄金も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」 など。 |
| 718年 |
|
養老律令 |
藤原不比等が養老律令を撰上。 |
|
|
大山寺創建 |
大山寺は金連(きんれん)上人により養老2年(西暦718年・奈良時代)に「大山寺」として開創・創建されました。
平安時代になると天台宗の寺院が次々と建立され、鎌倉時代から室町時代にかけての大山寺は隆盛をきわめ、100を超える寺院(160ともいわれています)を抱え、高野山金剛峯寺(和歌山県)や比叡山延暦寺(滋賀県)と並ぶ大寺とされ、「大山僧兵3000人」と言われるほどの勢力を持つまでになりました。
江戸時代には3000石の寺領を得て「全国六十六か国の納経所」に指定され多くの廻国行者が訪れました。 |
| 720年 |
|
日本書紀編纂 |
舎人親王、日本国史全30巻、系図1巻を撰上。 |
| 720年 |
|
藤原不比等死去 |
不比等が死去し、政権は長屋王(天武天皇の孫)が握るようになった。 |
| 723年 |
|
三世一身の法 |
長屋王が施行。公地公民制の崩壊初期。 |
| 724年 |
|
第45代聖武天皇即位 |
724年、聖武天皇が即位し、729年に藤原不比等の娘を皇后とする(光明皇后)。政権は再び藤原氏へ。(藤原四卿政権)
藤原武智麻呂(南家)−仲麻呂(恵美押勝)
藤原房前(北家)−−−良房−基経−−忠平−−兼家−道長−頼道
藤原宇合(弐家)−広嗣−−百川
藤原麻呂(京家) |
| 729年 |
|
長屋王の変 |
藤原宇合(うまかい)の謀略により長屋王が自殺。 |
| 733年 |
|
出雲風土記完成 |
|
| 737年 |
|
藤原四卿の死去 |
天然痘により、藤原四卿が相次いで死去。政権は橘諸兄に移った。 |
| 740年 |
|
藤原広嗣の乱 |
藤原広嗣(宇合の子)が、橘諸兄の勢力に対して太宰府で挙兵。
挙兵は失敗するが、中央政界に大きな衝撃を与えた。 |
| 741年 |
|
国分寺建立の詔 |
国分寺・国分尼寺の建設がはじまる。 |
| 743年 |
|
墾田永年私財の法 |
公地公民制の崩壊。 |
| 751年 |
|
懐風藻 |
|
| 752年 |
|
大仏開眼 |
45代聖武天皇、東大寺大仏開眼供養を行う。 |
| 754年 |
|
鑑真来日 |
唐招提寺建立。 |
| 756年 |
|
正倉院 |
東大寺に宝庫「正倉院」が出来る。 |
| 757年 |
|
橘奈良麻呂の変 |
藤原仲麻呂が、橘奈良麻呂のクーデターを防ぐ。政権は仲麻呂へ。 |
| 758年 |
|
「大伴家持」
因幡守に任官 |
大伴家持 (748頃生ー785没) 因幡守に任官。 |
| 759年 |
|
万葉集 |
選者:大伴家持ら |
| 764年 |
|
恵美押勝の乱 |
恵美押勝(藤原仲麻呂)が道鏡の勢力に対して挙兵。近江で敗死。 |
| 765年 |
|
道鏡太政大臣 |
道鏡が太政大臣禅師となる。その後法王へ。 |
| 769年 |
|
道鏡皇位事件 |
道鏡が、称徳天皇の後の皇位を継ごうとするが失敗。 |
| 770年 |
|
道鏡失脚 |
道鏡が下野(しもつけ)(栃木県)に流される。政権は藤原百川に移った。 |
| 784年 |
|
長岡京遷都 |
第50代桓武天皇が、都を京都、「長岡京」に移す。 |
| 平安時代(794−1192) |
| 794年 |
|
平安遷都 |
第50代桓武天皇が、都を京都、「平安京」に移す。 |
| 797年 |
|
坂上田村麻呂 |
坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命された。 |
| 804年 |
|
平安仏教の黎明 |
最澄と空海が唐に渡る。 |
| 805年 |
|
最澄帰国 |
最澄(伝教大師)が唐より帰り、天台宗を伝える。比叡山に延暦寺を建てる。
最澄の死後、円仁、円珍が支える。(台密) |
| 806年 |
|
空海帰国 |
空海(弘法大師)が唐より帰り、真言宗を伝える。高野山に金剛峰寺を建てる。
その後、京都に東寺を与えられる。(東密) |
| 858年 |
|
藤原良房摂政 |
摂関政治の始まり。 |
| 870年頃 |
|
国風文化の萌芽 |
この頃より国風文化が栄える。
「竹取物語」、「伊勢物語」などが著される。 |
| 887年 |
|
藤原基経関白 |
摂関政治の始まり。 |
| 894年 |
|
遣唐使廃止 |
菅原道真の意見により遣唐使廃止。 |
| 900年頃 |
|
|
藤原氏が経済基盤を固める |
| 900年頃 |
|
上淀廃寺炎上 |
この頃、上淀廃寺炎上消失。
以後、再建されることはなく、上淀廃寺は歴史から忘れ去られる事になりました。 |
| 901年 |
|
道真流罪 |
菅原道真が、藤原氏によって大宰府に流される。 |
| 902年 |
|
荘園大整理 |
藤原氏が経済基盤を固める。 |
| 905年 |
|
古今和歌集編纂 |
紀貫之らによる、最初の勅撰和歌集。 |
|
907 |
唐滅亡 |
唐滅亡し、この後約50年間、五代十国時代が続く。 |
| 935年 |
|
承平・天慶の乱 |
平将門が関東で反乱を起こす。 |
| 939年 |
|
承平・天慶の乱 |
藤原純友が瀬戸内で反乱を起こす。 |
| 950年頃 |
|
浄土教の発達 |
阿弥陀如来に帰依して念仏(南無阿弥陀仏)を唱えることによって極楽浄土に往生出来るという教えが広まった。
空也(市聖):市にて念仏のくどくを庶民に布教した。
源信(恵心僧都):985年に「往生要集」を著す。 |
|
960 |
「宋」建国 |
|
| 995年 |
|
藤原道長右大臣 |
藤原道長が右大臣となり、政治の実権をにぎる。 |
| 1000年頃 |
|
藤原氏の時代 |
藤原氏が政治権力を握るようになる。 |
| 1016年 |
|
藤原道長摂政 |
藤原道長が摂政となる。(生涯、関白にはならず) |
| 1017年 |
|
藤原頼道摂政 |
藤原頼道が摂政となる。 |
| 1051年 |
|
前九年の役 |
陸奥の豪族安倍頼時・貞任親子が衣川柵(岩手県)で反乱を起こす。
源頼義・義家親子と出羽の豪族清原氏が討伐。
清原武則が鎮守府将軍となる。源氏の勢力が強くなる。 |
| 1053年 |
|
平等院鳳凰堂 |
頼道が宇治に平等院鳳凰堂を建立。(寝殿造り) |
| 1083年 |
|
後3年の役 |
清原武則の孫家衡・清衡の争いに関し、源義家が清衡に助成。
その後、清原清衡は摂関家と結んで藤原氏を名乗る。 |
| 1086年 |
|
院政開始 |
白河上皇が院政を始める。
摂政・関白はしだいに権力を失うようになる。 |
| 1100年頃 |
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武士勢力の台頭 |
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| 1105年 |
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中尊寺金色堂 |
藤原清衡が平泉に中尊寺を建てる。
その後、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の栄華が続く。 |
| 1156年 |
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保元の乱 |
皇位をめぐって、崇徳上皇と後白河天皇が対立。
上皇側 : 左大臣藤原頼長、源為義、平の忠正
天皇側 : 関白 藤原忠通、源義朝、平清盛
負けた崇徳上皇は讃岐へ流罪。 |
| 1159年 |
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平治の乱 |
後白河上皇の政治に不満を持った藤原信頼、源為義が挙兵。
しかし平清盛によって源為義は殺害され、三男頼朝は伊豆に流罪。
以後、平氏が政界における地位を確立。 |
| 1180年 |
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頼朝挙兵 |
源頼朝、源(木曾)義仲が挙兵。 |
| 1185年 |
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壇ノ浦の戦い |
壇ノ浦にて平氏滅亡。 |
| 1189年 |
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源義経死去 |
平泉で藤原泰衡が義経を殺害。その後頼朝によって奥州藤原氏は滅ぼされた。 |
| 鎌倉時代(1192−1335) |
| 1192年 |
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鎌倉幕府成立 |
源の頼朝が鎌倉に幕府を開く。 |
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1096 |
第一回十字軍 |
(1096-1270まで7回の十字軍) |
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1206 |
「元」、建国 |
チンギス・ハンがモンゴル帝国を建国。 |
| 1200年頃 |
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鎌倉新仏教の発達 |
念仏系、法華系、禅宗系の新仏教が栄えた。 |
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念仏系
@1175年 法然 浄土宗 (知恩院、選択本願念仏集)
A1224年 親鸞 浄土真宗 (本願寺、教行信証、嘆異抄)
B1274年 一遍 時宗 (清浄光寺、一遍上人語録)
法華系
@1253年 日蓮 日蓮宗 (久遠寺、立正安国論)
禅宗系
@1191年 栄西 臨済宗 (建仁寺、興禅護国論)
A1227年 道元 曹洞宗 (永平寺、正法眼蔵)
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| 1203年 |
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執権政治 |
北条氏に実権が移った。初代執権、北条時政。 |
| 1219年 |
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実朝暗殺 |
3代将軍源実朝が暗殺される。 |
| 1221年 |
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承久の乱 |
後鳥羽上皇が、執権北条義時の追悼宣言を出す。
しかし北条泰時・時房の19万人の軍によって京都占領される。
後鳥羽上皇は隠岐に流刑。
この時、上皇の近辺にいた多くの人たちが上皇に追従して伯耆国に入ったと思われます。 |
| 1232年 |
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御成敗(貞永)式目 |
北条泰時が最初の武家法典、御成敗(貞永)式目を制定。 |
| 1271年 |
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文永の役 |
第一回蒙古襲来。 |
| 1284年 |
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弘安の役 |
第二回蒙古襲来。 |
| 1297年 |
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永仁の徳政令 |
幕府が徳政令を出し、御家人の困苦を救う。 |
| 1300年頃 |
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1300頃 |
ルネサンス |
イタリアでギリシャ・ローマの文芸復興が始まった。 |
| 1331年 |
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元弘の変 |
後醍醐天皇が倒幕計画を立てるも失敗。
後醍醐天皇は、隠岐に流刑。 |
| 1332年 |
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安養寺開山 |
後醍醐天皇の皇女、たま子内親王が隠岐に流刑された後醍醐天皇を慕い、伯耆国に到着。しかし、隠岐に渡ることが許されなかったので、当地に残留。
時宗の6代一鎮に帰依、出家して、西月院安養尼と号して開山。
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| 1333年 |
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後醍醐天皇隠岐脱出 |
後醍醐天皇が隠岐を脱出し、名和長年らと船上山で挙兵。
楠木正成、足利高氏、新田義貞の加勢により、北条氏滅亡。 |
| 1334年 |
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建武の新政 |
天皇親政。しかし武士、公家の反感を買う。 |
| 1335年 |
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足利尊氏の反乱 |
足利尊氏が鎌倉で反旗を上げる。 |
| 南北朝時代 |
| 1336年 |
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南北朝の分立 |
足利尊氏、光明天皇を立てる(北朝)。ついで建武式目を制定。
後醍醐天皇は吉野へ逃れる(南朝)。 |
| 1337年 |
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伯耆国守護
山名時氏 |
山名時氏 伯耆国守護となる。 |
| 1338年 |
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足利(室町)幕府 |
足利尊氏が征夷大将軍となり、京都に室町幕府を開く。 |
| 1349年 |
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関東管領設置 |
関東管領をおき、足利基氏がこれに任じる。
このころ倭寇が中国の沿岸を荒らす。 |
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1368 |
「明」、建国 |
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| 室町時代(1392−1573) |
| 1392年 |
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南北朝の統一 |
しだいに北朝・幕府側の力が強まり、南朝側の武士は少なくなった。1392年、3代将軍足利義満は南朝と講和して京都で一つの朝廷になるようにした。 |
| 1397年 |
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金閣寺造営 |
3代将軍足利義満が北山に金閣寺を造営(北山文化) |
| 1401年 |
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第1回遣明船 |
足利義満が明と貿易を始め、倭寇の取りしまりを約する。 |
| 1404年 |
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勘合貿易開始 |
倭寇と区別するために正式の貿易船に勘合符という割札をもたせた。 |
| 1428年 |
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正長の土一揆 |
近江国の馬借が徳政令を要求して起こした、最初の大規模な一揆。 |
| 1467年 |
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応仁の乱 |
将軍家の継嗣問題、管領家の家督争いを発端に起こった全面的内乱。
東軍:細川勝元
西軍:山名宗全
両者が諸大名を率いて争う。
応仁の乱を契機にに下克上の世の中となり、戦国大名が誕生する。 |
| 1485年 |
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山代の国一揆 |
山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った。 |
| 1488年 |
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加賀の一向一揆 |
加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った。 |
| 1489年 |
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銀閣寺造営 |
足利義政が京都東山に銀銀閣寺を建てる。 (東山文化) |
| 1500年頃 |
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戦国時代へ |
このころ、幕府、朝廷がおとろえ、公家・貴族などが多く地方に下る。
その結果、戦国時代の幕開けともなった。 |
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1517 |
ルターの宗教改革 |
マルチン・ルターが宗教改革。 |
| 1543年 |
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鉄砲伝来 |
ポルトガル人、種子島に漂着し、鉄砲を伝える。 |
| 1549年 |
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キリスト教伝来 |
フランシスコ・ザビエル、キリスト教を伝来。 |
| 1552年 |
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伯耆国守護
尼子晴久 |
足利義輝が、尼子晴久を因伯など8カ国守護とする。 |
| 1560年 |
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尼子義久 |
尼子晴久死去し、義久が家督を嗣ぐ。 |
| 1560年 |
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桶狭間の戦い |
織田信長が、桶狭間にて今川義元を破る。 |
| 1564年 |
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尼子敗退 |
毛利勢、伯耆の尼子を掃討。 |
| 1568年 |
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信長の入京 |
信長が足利良い秋を奉じて入京。 |
| 1569年 |
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尼子勝久挙兵 |
尼子氏遺臣山中鹿之助が、尼子勝久を擁立して挙兵。 |
| 1573年 |
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室町幕府滅亡 |
足利義昭を追放し足利幕府滅ぶ。 |
| 安土桃山時代(1573−1603) |
| 1575年 |
|
長篠の戦い |
信長が武田勝頼をやぶる。(これを機に鉄砲の威力が証明され戦の様式が変化していく)。 |
| 1576年 |
|
安土城築城 |
織田信長が安土城を築城。 |
| 1576年 |
|
尼子氏断絶 |
毛利勢が、尼子を破り、勝久、鹿之助は京都に逐電。
以後、伯耆国は毛利氏の支配するところとなりました。 |
| 1577年 |
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楽市楽座 |
信長が安土に楽市の制をしく。 |
| 1580年 |
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鳥取城水攻め |
秀吉が鳥取城を水攻め。1581年落城。吉川経家は自刃。 |
| 1582年 |
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本能寺の変 |
信長が京都の本能寺で明智光秀におそわれ、自刃。 |
| 1582年 |
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山崎の戦い |
羽柴秀吉が明智光秀をやぶる。 |
| 1583年 |
|
大阪城築城 |
秀吉が大阪城を築く。 |
| 1587年 |
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九州平定 |
秀吉が島津氏を討って九州を従える。 |
| 1588年 |
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刀狩り |
農民から刀・やり・鉄砲などの武器を取り上げ、農民が武器を持つことを禁止する。 |
| 1590年 |
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全国を統一 |
豊臣秀吉が小田原の北条氏を破る。全国を統一。 |
| 1592年 |
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文禄の役 |
秀吉が朝鮮出兵を命ずる。 |
| 1594年 |
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太閤検地 |
秀吉が全国にわたり検地を行う |
| 1596年 |
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米子城の築城
米子城主
吉川広家 |
米子城は応仁元年(1467)から始まる応仁の乱の頃、西軍の山名氏が東軍の尼子氏に対抗するために砦を築いたのが始まりといわれている。
時代は下って豊臣秀吉の時代となった天正19年(1591)毛利元就の孫で月山富田城主吉川広家が陸海の要衝の地にあたる米子に大規模な築城工事を行い、四重の天守を築くなどほぼ縄張りを完成させた。

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| 1597年 |
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慶長の役 |
秀吉が再び朝鮮に出兵する。 |
| 1598年 |
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秀吉逝去 |
豊臣秀吉が死亡。 |
| 1600年 |
慶長5 |
関ヶ原の戦い |
徳川家康と豊臣方の戦い。
東軍:徳川家康
西軍:石田三成 |
| 1600年 |
|
吉川広家転封 |
吉川広家転封
慶長5年(1600)関ケ原の合戦で毛利輝元(毛利元就の孫)が西軍の総大将となったため、その塁が及んで吉川広家は所領を削られて周防岩国に転封。 |
| 1600年 |
|
米子城主
中村一忠 |
駿府城から中村一忠が伯耆一国17万5千石を与えられて米子城主となり、吉川広家が築いた天守の横に新たに五重の天守を築くなど城の大改築を行なった。 |
| 江戸時代(1603年−1868年) |
| 1603年 |
|
江戸幕府 |
徳川家康、江戸に幕府を開く。
この頃、出雲(島根県)の阿国が歌舞伎踊りを始める。 |
| 1609年 |
|
米子城主
加藤貞泰 |
慶長14年(1609)中村一忠は嗣子なく没してお家は断絶。
中村氏に替わって加藤貞泰が美濃黒野から入封するが、元和3年(1617)加藤貞泰は伊予大洲へ転封。 |
| 1614年 |
|
大阪冬の陣 |
家康が大阪城の豊臣秀頼を攻める。 |
| 1615年 |
|
大阪夏の陣 |
豊臣氏が徳川氏に滅ぼされる。
直後より幕藩体制の基礎作りが行われた。
武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める。 |
| 1616年 |
|
中江藤樹米子在住 |
日本の陽明学の祖と言うべき中江藤樹が、9歳の時から約1年間米子市に在住。
近江聖人と言われる門人には、熊沢蕃山、泉仲愛(蕃山の実弟)らがおり、その流れは大塩平八郎、佐久間象山、吉田松陰へと続いている。 |
| 1617年 |
|
米子城主
池田由之 |
この後、因幡・伯耆二国は鳥取城主池田光政が支配するところとなり、一門の池田由之が米子城主となる。 |
| 1623年 |
|
3代将軍徳川家光 |
徳川家光が3代将軍になり、幕府の官僚政治体制が整う。 |
| 1632年 |
|
米子城主
荒尾成利 |
寛永9年(1632)池田光政が備前岡山城主になるに伴い、池田由之は備前下津井城主となり、替わって備前岡山から池田光仲が鳥取城主となると、
米子城は鳥取城の支城として鳥取藩筆頭家老の荒尾成利が城主となる。
以後、米子城は荒尾氏11代の居城として明治維新を迎える。 |
| 1635年 |
|
鎖国令 |
日本人の海外渡航を禁じ、御朱印船を廃止する。 |
| 1637年 |
|
島原の乱 |
小西行長の遺臣、益田好次の子で16歳の天草四郎時貞を盟主とするキリシタン浪人が、農民層を駆り立てて蜂起させた土一揆。 |
| 1642年 |
|
参勤交代 |
諸大名に参勤交代を命じる。 |
|
1644 |
「清」建国 |
明が滅亡し、清建国。 |
| 1649年 |
|
慶安の御触書 |
農民の生活制限の集大成と言うべき慶安の御触書が出される。 |
|
1649 |
清教徒革命 |
イギリスで清教徒革命 |
| 1651年 |
|
慶安の変 |
由井正雪を首謀者とする浪人たちがくわだてた幕府批判の反乱未遂事件。 |
| 1680年 |
|
5代将軍徳川綱吉 |
徳川綱吉が5代将軍となる。
側用人、柳沢吉保を登用。 |
| 1687年 |
|
生類憐れみの令 |
綱吉が生類憐れみの令を発令。 |
| 1699年 |
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米川用水路 |
米川用水路工事着工。 |
| 1700年頃 |
|
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| 1700年頃 |
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元禄文化
(元禄時代
1688-1704) |
1688年から1704年の元禄年間前後に栄えた文化。
文学
松尾芭蕉が「奥の細道」を著す。(1689年)
近松門左衛門が「曽根崎心中」を著す。(1703年)
井原西鶴が「好色一代男」、「世間胸算用」を著す
古学
山鹿素行、荻生そ来
陽明学
中江藤樹、熊沢蕃山
朱子学
林羅山、新井白石
美術
俵屋宗達、尾形光琳、菱川師宣 |
| 1702年 |
元禄15 |
日野川大氾濫 |
|
| 1702年 |
|
赤穂浪士討ち入り |
赤穂浪士47人が吉良邸へ討ち入り。 |
| 1709年 |
|
6代将軍徳川家宣 |
家宣が6代将軍となる。
柳沢吉保を退け、側用人として真部あき房、新井白石を登用。(正徳の治)。 |
| 1710年 |
|
米川用水路完成1 |
米川用水路が両三柳まで開通。 |
| 1716年 |
|
8代将軍徳川吉宗
享保の改革 |
徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革を行う。
倹約令を出し、幕府財政の立て直しを試みた。 |
| 1717年 |
|
大岡忠相 |
大岡忠相が江戸町奉行に就任する。 |
| 1721年 |
|
目安箱 |
目安箱を置いて人々の不満をきく。 |
| 1722年 |
|
上米の制 |
上げ米の制をもうけ、参勤交代をゆるめる。
これは、大名の江戸滞在を半年(それまでは1年)とするかわりに、石高1万石につき100石の割合で米をさし出させるようにした制度。 |
| 1732年 |
|
享保の大飢饉 |
西日本を中心に約1万人の死者が出た。 |
| 1739年 |
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元文の一揆 |
鳥取藩最大の土一揆、「元文の一揆」が起こる。 |
| 1751年 |
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壺上騒動 |
西伯耆の百姓30000人が淀江の壺上山に集まり、年貢の減免を願い出た壺上騒動が起こりました。 |
| 1759年 |
|
米川用水路完成2 |
米川用水路が境港まで開通。
これにより弓ヶ浜地区に4300町歩の新田が出来た。 |
| 1760年 |
|
10代将軍徳川家治 |
徳川家治が10代将軍となる。 |
| 1767年 |
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田沼意次 |
田沼意次が側用人になる。 |
| 1772年 |
|
田沼意次 |
田沼意次、老中となる。
商業資本を幕府の元に統制使しようと模索したが、金権政治を招来した。 |
| 1774年 |
|
解体新書 |
杉田玄白・前野良沢らが「解体新書」を著す。 |
|
1776 |
合衆国独立宣言 |
|
| 1783年 |
|
天明の太飢饉 |
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| 1784年 |
|
田沼意知暗殺 |
若年寄田沼意知が、江戸城内で、旗本、佐野政言に暗殺された。 |
| 1786年 |
|
田沼意次失脚 |
家治の死去と共に田沼意次失脚。 |
| 1787年 |
|
11代将軍徳川家斉 |
徳川家斉が11代将軍となる。 |
| 1787年 |
|
寛政の改革 |
松平定信が老中筆頭になり、寛政の改革を行う。
農村の復興、旗本ご家人の生活難の救済が行われた。 |
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1789 |
フランス革命勃発 |
フランスでバスティーユ牢獄が襲撃され、フランス革命が勃発。 |
| 1790年 |
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寛政異学の禁 |
朱子学以外の学問が禁止された。 |
| 1792年 |
|
ロシア使節来日 |
ロシアの使節ラックスマン中尉が根室に来る。
伊勢の船頭「大黒屋光太夫」がロシアより帰国。 |
| 1798年 |
|
古事記伝 |
本居宣長が「古事記伝」を著す。 |
| 1800年頃 |
|
江戸幕府の衰退 |
|
| 1800年頃 |
|
化政文化 |
文化・文政年間前後に栄えた文化を化政文化と言います。
文学
俳人・小林一茶が「おらが春」、「一茶発句集」などを著す。
十返舎一九が「東海道中膝栗毛」を著す。(1802年)
式亭三馬が「浮き世風呂」、「浮き世床」などを著す。
滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」を著す。(1841年)
国学
本居宣長が「古事記伝」を著す。(1798年)
美術
日本画家 : 丸山応挙
浮世絵 : 喜多川歌麿、葛飾北斎、安藤広重 |
| 1808年 |
|
フェートン号事件 |
長崎港にイギリス軍艦「フェートン号が進入。オランダ人2名を拉致。 |
| 1809年 |
|
間宮林蔵 |
間宮林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見。 |
| 1814年 |
|
大日本沿海輿地全図 |
伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」を完成する。 |
| 1825年 |
|
外国船打払い令 |
幕府が「外国船打払い令」を出す。 |
| 1837年 |
|
大塩平八郎の乱 |
大阪で陽明学者で大阪奉行所のもと役人の「大塩平八郎」が、貧しい人々を救おうとして奉行所に申し入れたが聞き入れられず、兵をあげた。 |
| 1839年 |
|
蛮社の獄 |
渡辺崋山・高野長英らが幕府の鎖国政策を批判してとらえられる。 |
| 1840年頃 |
|
工場制手工業の発達 |
このころ各地にマニュファクチャー(工場制手工業)が起こる。 |
|
1840 |
アヘン戦争 |
|
| 1841年 |
|
天保の改革 |
老中水野忠邦が天保の改革を行う。
株仲間をつくることを禁止したり、人返しの法などによって都市に出ていた農民を村に帰させたり、倹約令を出してぜいたくをとりしまったが、失敗に終わった。 |
| 1853年 |
|
黒船来航 |
浦賀にペリー来航。 |
| 1854年 |
|
日米和親条約 |
再びペリーが来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ。
下田・函館の2港を開いて、アメリカ船に食料や燃料を与える約束をした。
ついで、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約を結んだ(鎖国の終了)。 |
| 1858年 |
|
安政の5カ国条約 |
井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・オランダと修好通商条約を結ぶ。
神奈川・長崎・函館・兵庫・新潟の5港を開く。 |
| 1859年 |
|
安政の大獄 |
大老井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに通商条約を結び、それを批判した諸大名や数多くの志士(吉田松陰・橋本左内など)をとらえて死刑や島流しにした。 |
| 1860年 |
|
桜田門外の変 |
井伊直弼は江戸城桜田門外で水戸藩や薩摩藩を脱藩した武士たちによって暗殺された。
これにより、幕府の権威は地に落ちることになった。 |
|
1961 |
アメリカ南北戦争 |
|
| 1862年 |
|
寺田屋事件 |
島津久光の刺客が、過激な島津藩士を暗殺。
これによって島津久光は朝廷の信任を得ることになった。 |
|
|
生麦事件 |
横浜近くの生麦村で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷。 |
| 1863年 |
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薩英戦争 |
7月 生麦事件の報復として、イギリスが鹿児島湾を砲撃する。 |
|
|
七卿落ち |
8月 公武合体派の公家と薩摩藩兵、会津藩兵が御所を封鎖。
その結果、長州藩は御所の警護役から外され、長州よりの公家7人が長州に逃れた。 |
| 1864年 |
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池田屋事件 |
6月 新撰組が、長州藩士を池田屋で襲撃。 |
|
|
蛤御門の変
(禁門の変) |
7月 長州藩士が京都御所を襲い会津・薩摩藩と戦闘。
このため長州は朝敵となった。 |
|
|
4国艦隊下関砲撃事件 |
8月 アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4カ国の艦船が下関を砲撃、占領する。 |
|
|
第一次長州征伐 |
8月 第一次長州征伐布告。藩内は幕府への恭順を示し実際の戦闘は行われなかった。 |
|
|
長州藩クーデター |
12月 高杉晋作挙兵し、藩内を倒幕 |
| 1866年 |
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薩長同盟 |
1月 坂本龍馬の仲介で薩長同盟成立。 |
|
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第二次長州征伐 |
6月 第二次長州征伐。しかし長州側が勝利する。 |
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厳島談判 |
7月 勝海舟と長州が休戦協定を結ぶ。 |
| 1867年 |
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船中八策 |
6月 坂本龍馬の船中八策を起草。大政奉還の道が示された。 |
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大政奉還 |
10月 前土佐藩主山内豊信は、坂本竜馬らの意見をとり入れ、15代将軍徳川慶喜に政権を朝廷に返すようにすすめた。慶喜はこれを受け入れ、大政奉還を申し出た。 |
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坂本龍馬暗殺 |
11月 坂本龍馬、中岡慎太郎、京都近江屋で暗殺。 |
| 1868年 |
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鳥羽伏見の戦い |
1月 薩摩軍と幕府軍が鳥羽伏見で戦う。 |
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江戸城開城。 |
3月 西郷隆盛と幕府の勝海舟との話し合いによって、江戸城無血開城。 |
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五箇条の御誓文 |
3月 明治天皇が五箇条の御誓文。 |
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彰義隊 |
5月 官軍への不満を持った旧幕府勢力が上野寛永寺で官軍と戦闘。全滅。 |
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会津戦争 |
5月 仙台藩を中心に東北25藩、越後6藩が「奥羽越列藩同盟」を結成し官軍と戦闘。
8月 奥羽越列藩同盟崩壊。
9月 松平容保、会津城に籠城するも落城。白虎隊自決。 |
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函館戦争 |
10月 榎本武揚が蝦夷上陸し、函館御陵閣を占領。独立を宣言。 |
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鳥羽・伏見の戦いから函館五稜郭の戦いで抵抗したが、新政府軍に敗れた。
この一連の戦いを「戊辰戦争」という。 |
| 明治(1968年−1912年) |
| 1868年 |
元年 |
一世一元の制 |
9月 戊辰戦争の後、明治政府樹立。 |
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皆生温泉発見 |
皆生の沖合200mの海中に温泉が見つかる。
しかし、当時は海中であったため、これを利用できなかった。 |
| 1869年 |
明 2 |
戊辰戦争終結 |
4月、五稜郭落城。戊辰戦争終結。 |
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明 2 |
版籍奉還 |
鳥取藩知事に池田慶徳が就任。 |
| 1871年 |
明 4 |
廃藩置県 |
3府72県に新しく府知事・県令をおいた。
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| 1872年 |
明 5 |
義務教育の開始 |
学制を定め、全国に小学校をつくる。 |
| 1873年 |
明 6 |
徴兵令 |
士族、平民の身分に関わりなく、満20歳に達した男子を兵役に服させる軍政が義務づけられた。 |
| 1873年 |
明 6 |
征韓論(明治6年の政変) |
征韓論をめぐって西郷隆盛と大久保利通が対立。西郷下野。 |
| 1873年頃 |
明 6 |
米子城天守閣解体 |
一度も戦火に見舞われることなく健在であった米子城であったが、この頃、米子城天守閣が取り壊された。しかし未だにその解体の正確な日時は不詳との事。 |
| 1875年 |
明 8 |
新開川完成 |
皆生から和田までの間に水を引くため新開川を開削。
当時は米川と並行して流れる用水路でした。 |
| 1876年 |
明 9 |
秩禄処分 廃刀令 |
これをきっかけに、旧士族が熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱を起こす。 |
| 1876年 |
明 9 |
鳥取県消滅 |
鳥取県が島根県に吸収合併される。 |
| 1877年 |
明10 |
西南戦争 |
西郷隆盛を中心に九州で起こされた士族の反乱。田原坂での激戦を経た後、西郷隆盛自決。 |
| 1878年 |
明11 |
米子町誕生 |
島根県会見郡米子町・汗入(あせり)郡淀江町として町制施行。 |
| 1881年 |
明14 |
自由党設立 |
板垣退助が日本初の政党「自由党」を設立。 |
| 1881年 |
明14 |
鳥取県再置 |
島根県のうち、旧因幡国の8郡・旧伯耆国の6郡が鳥取県として分立・再置される。 |
| 1890年 |
明23 |
第1回帝国議会 |
第1回帝国議会 |
| 1894年 |
明27 |
日清戦争 |
日本海軍が豊島隠岐で清国艦隊を攻撃し、開戦。
黄海海戦などでで日本が勝利し、信が和平を求めた。 |
| 1895年 |
明28 |
下関条約 |
伊藤博文首相、陸奥宗光外相と、李鴻章が交渉。
朝鮮の独立承認
遼東半島、台湾・ぼう湖諸島の割譲。
2億両(3億1000万円)の賠償金。 |
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三国干渉 |
ロシア、フランス、ドイツの干渉により遼東半島返還。 |
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日新戦争の結果、産業革命が進展し、金本位制が確立した。 |
| 1896年 |
明29 |
西伯郡誕生 |
汗入(あせり)郡と会見郡が合併し西伯郡となる。 |
| 1900年 |
明33 |
治安警察法 |
治安警察法によって、社会運動や労働運動の取りしまりが行われた。 |
| 1902年 |
明35 |
鉄道開通 |
山陰で発の鉄道が境港−米子−御来屋間に開通。 |
| 1904年 |
明37 |
日露戦争 |
2月 日本海軍が旅順のロシア艦隊を攻撃、日露戦争が勃発。 |
| 1905年 |
明38 |
旅順陥落 |
1月 旅順陥落。 |
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奉天の会戦 |
3月 奉天の会戦でロシア軍敗走。 |
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日本海海戦 |
5月 バルチック艦隊ほぼ全滅。 |
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ポーツマス条約 |
9月 合衆国セオドア-ルーズベルト大統領の仲介でポーツマス条約が結ばれた。
日本側:小村寿太郎 ロシア側:ウィッテ
日本の韓国に対する指導権
旅順・大連の租借権
北緯50度以南の樺太割譲 |
| 1910年 |
明43 |
大逆事件 |
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明43 |
韓国併合 |
韓国を併合しソウルに朝鮮総督府を置いた。 |
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1911 |
辛亥革命 |
清朝が倒れ中華民国が成立。初代総統に孫文が就任。 |
| 1912年 |
明45 |
明治天皇崩御 |
7月30日、明治天皇崩御(61歳)。 |
| 大正(1912年−1926年) |
| 1912年 |
大 元 |
大正に改元 |
大正天皇即位 |
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1914 |
第一次世界大戦勃発 |
オーストリア皇太夫妻がセルビアの青年によって暗殺された。
それを契機に、ヨーロッパで第一次世界大戦勃発。
日本では世界大戦の影響で好景気になり、「成金」を生む。 |
| 1915年 |
大 4 |
対華二十一ヶ条要求 |
中華民国大総統の袁世凱に対し、21か条の要求を出し、満州へ手をのばす。 |
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1917 |
ロシア革命 |
1917年3月、3月革命 |
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1917年11月、11月革命 |
| 1918年 |
大 7 |
シベリア出兵 |
ロシア革命を妨害するために日本、英、仏、米がシベリアに出兵。 |
| 1918年 |
大 7 |
米騒動 |
富山に米騒動が起こる。(越中の女一揆) |
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1918 |
第一次世界大戦終戦 |
11月、ドイツが連合国に降伏。 |
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1919 |
パリ講和会議 |
連合国とドイツの間でベルサイユ条約が結ばれた。 |
| 1920年 |
大 9 |
国際連盟発足 |
合衆国大統領ウイルソンの提案で国際連盟が成立。 |
| 1922年 |
大11 |
法勝寺電車開通 |
道笑町から法勝寺まで電車開通。 |
| 1923年 |
大12 |
関東大震災 |
9月1日 マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲う。死者・行方不明者14万人。 |
| 1925年 |
大14 |
皆生電車開通 |
公会堂前から皆生まで電車開通。 |
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大14 |
普通選挙法 |
満25歳以上の男子のすべてに衆議院議員の選挙権が与えられた。
女子には、まだ選挙権がなかった。 |
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大14 |
治安維持法 |
社会主義の運動や労働運動の取りしまり。
その後、罰則が強化され、民主主義・自由主義・平和主義までを取りしまりの対象とし、日本のファシズム体制をささえた。 |
| 1926年 |
大15 |
大正天皇崩御 |
12月25日、大正天皇崩御(48歳) |
| 昭和(1926年−1989年) |
| 1926年 |
昭 元 |
昭和に改元 |
9月 西伯郡成実村の一部を米子町に編入合併。 |
| 1927年 |
昭 2 |
米子市誕生 |
4月 西伯郡米子町が市制施行し米子市となる。当時の人口31144人 |
| 1928年 |
昭 3 |
伯備線開通 |
大正4年に着工された伯備線が全線開通。 |
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1929 |
世界恐慌 |
10月24日(木)、ニューヨーク株式が大暴落し、世界的な大不況となる。 |
| 1929年 |
昭 4 |
皆生競馬場完成 |
現在の皆生海浜公園付近に競馬場が完成。 |
| 1930年 |
昭 5 |
昭和恐慌 |
日本にも不況が波及し、約3年間失業者が続出した。 |
| 1931年 |
昭 6 |
満州事変
(柳条湖事件) |
9月 奉天郊外の柳条湖で日本軍(関東軍)が自ら満州鉄道の線路を爆破。
その罪を張作霖の息子、張学良にきせて軍事行動を起こした。
関東軍は4ヶ月かけて満州全土を征服。
この事件が、太平洋戦争終結まで続く「15年戦争」の発端となった。 |
| 1932年 |
昭 7 |
第一次上海事変 |
1月 日本人僧侶襲撃事件を発端に、日本軍と中国軍が衝突。 |
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満州国建国 |
3月 清朝最後の皇帝、「愛新覚羅ふぎ」を元首に据えて、満州国を建国。 |
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五・一五事件 |
5月15日 青年将校らが総理大臣の犬養毅を暗殺。
この結果、政党政治が終わりを告げた。 |
| 1933年 |
昭 8 |
国際連盟脱退 |
2月 国際連盟が日本の満州国撤退決議。松岡洋右議場から退場。
3月 日本は国際連盟を脱退。 |
| 1935年 |
昭10 |
住吉村 |
9月 西伯郡住吉村を米子市に編入合併。 |
| 1936年 |
昭11 |
二・二六事件 |
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| 1936年 |
昭11 |
車尾村 |
7月 西伯郡車尾村を米子市に編入合併。 |
| 1937年 |
昭12 |
日中戦争勃発 |
9月 廬溝橋事件をきっかけに、日中戦争が勃発。
12月 南京陥落。 |
| 1938年 |
昭13 |
国家総動員法 |
重要軍事産業の労働力確保のために定められた国民徴用令(白紙招集) |